作曲の仕事 2〜百聞は一見にしかずなのか?

唐突にいやらしい話しだが、むかし「CDは2,000円位で売っているから作曲料は1万円位だと思ってた」
と言われた事があった(これは極端な例ですが)。
確かに人それぞれだし、認識にも色々あるだろうから、それは間違っている!とは言えない。

しかし何年経っても何処へ行っても「音楽の予算って一番最後なんですよ」って言われてしまう。
例えば映像制作などは時間ごとに制作費を請求できたりするし、翻訳も字数で値段が決まったりする。
でも、作曲や編曲にはそれがほとんどない。どんなに日々頭の中で音を巡らせて、あーでもないこーで
もないとやっていても、適当に作っても、何回作り直しさせられても、得られる状況はほとんど同じ。 
どんなプロジェクトでも音楽の事はたいてい後回し。 
そんな青臭いこと言うな!と叱られそうだが、それが現実だ。
こんな事言ってる内はまだまだ甘い!と苦笑されそうだが、これがメシの種だ。 

しかし、ここで強調したいのはお金の事ではなく、仕事そのものへの認識。

色んなクリエイターがひとつのプロジェクトに関わる時、一番大事なのがお互いの仕事への理解だ。
僕は人と仕事するのが好きだけど、上っ面のコラボレーションは大嫌いだ。
音楽をオマケのように扱う人もいれば、音に頼りきりで何もしてない人もいる。反対に映像をオマケのよ
うに流しては、映像に頼っているだけの人もいる。舞台でも映画でも誰かひとりの力で出来るような簡単
な仕事はない。作り手同士の理解がないと先へ進めない。 
例えば映画を例に取れば、ヨーロッパでは「音楽家は見えない役者」と言われるくらい、皆で一緒に映画
を作っている感覚が根付いているが、日本では音楽はできるだけ手間と予算を省いてしまいたい、いわば
お荷物的な扱いだ(よほど大物の作曲家にでもなれば話題材料にもなるので話しは別だが)。 
だから、出来上がる音楽はどんどん安っぽくなるし、コンピュータの打ち込みだで済ませてしまう。
予算だの何だの以前に、そんな認識で依頼が来ても作曲家や演奏家のテンションが上がるわけがない。 
それは本当のコラボレーションと言えるのだろうか?

確かに百聞は一見にしかずと言うし、目に見えるもの、視覚に訴えるもののその力と影響力は絶大だ。
でもそれが先程からダラダラと書いている、個人的に負に落ちない部分の本質的な理由とも思えない。

人間が母体の体内でまず初めに体感するのは音ではないか、そう言ったのは妻だった。
もしそれが本当ならば、人間にとって音の存在とはあまりにも身近すぎて、普段は多くの人が意識してい
ない問題なのかもしれない。

例えば、ある日突然テレビや映画、舞台から全ての音楽が消えたら人はどう反応するんだろう。
それはそれで成り立ってしまうのだろうか。それとも・・・。

日本では「この音楽を使う」という言い方をするが、こちらでは「この音楽で作りたい」と言う。
どちらが音楽に携わる人間にとって幸せなのか。 

どれかひとつの仕事だけを主張するのではなく、誰かひとりの仕事だけを讃えるのでもなく。
そんな仕事が皆で出来たら、本当の意味で人に伝わる作品になるのでないだろうか。

・・・こんな事を堂々と言うのは、間違いなんでしょうか?
畑中正人
http://www.hatanakamasato.net/