iPad

iPadついに発表になりました。

いつものことですが、賛否両論あるようです。キーボードやマウスなど、これまでのユーザーインターフェイスが刻々と変化している事実は受け止めるべきかもしれません。実際iPhoneを使いはじめて自分の感覚に変化がありましたし、慣れてしまえば当たり前になってしまう。かつてMac OS9からOSXへの移行期、それについていくのが嫌でしょうがない時期がありましたが、結局慣れてしまえばもう前のOS環境には戻れなくなっていました。

思えばApple製品を使い始めて15年。音楽制作用として購入したのがはじまりでした。大げさな表現かもしれませんが当時はまだコンピュータで音楽を作るなど、邪道だった気がします。しかし僕にとっては音楽のアイディアだったりインスピレーションをアシストしてくれた大切なデバイスのひとつ。そもそもピアノやギター、サックスやシンセサイザーだって当時の最新技術の結晶です。いつも楽器の発明と発展と共に音楽があった。芸術は決して作家ひとりの発想から生まれるものではない。そういう事もあるかもしれませんが、実際には様々な作用があってひとつの作品になるのだと思います。

しかしながら全てのプロセスでコンピュータで使うにはどうにも違和感があります。
例えばラップトップを使ったライブパフォーマンス。どうにもやる気が失せてしまう。客席側にいる時はステージ上にPCが置かれているのを見ると急ににつまらなくなる。だから僕の場合はラップトップをライブで使うことはやめてしまいました。max/mspものめり込む手前で目が覚めてしまった。もちろん研究にはいいし、探究心もくすぐられるし今でもお世話になっています。でもアウトプットする手前でいつも「何かが違う」と思ってしまう。ライブで使うにしても展覧会で使うにしても、音を出すプロセスが本人以外にはほとんど見えないのがその原因のひとつだと思っています。聞く人からしたら、いったい何をやっているのかがさっぱりわからない。あらゆる方法を駆使してリアルタイムに音を奏でようが、あらかじめ仕込んだ音をボタンひとつで再生していようが、そのさまにほとんど違いがない。また、展覧会でコンテンツ再生用としてコンピュータを使うには運用、管理が面倒すぎるということがよくあります。期間中誰が朝会場に来てコンピュータを起動してアプリケーションを走らせるんですか、という話によくなります。

あくまで個人的事情ですが、やはりこれまでのコンピュータ(MacもWinも)の操作性、運用性能をもっと進化させてほしいと思っていたところにiPadの発表。個人的にはそういう意味でもとても期待しています。iPadならではのアプリケーションも生まれてくるでしょう。そしてこのiPadをどう使うのか、それはユーザーひとりひとりが生み出すアイディアとセンスに託されています。アプリケーションは個人でも何とか作れるけれど、デバイス(本体)は個人ではそう簡単には作れません。このタイミングにこのプロダクトを発表したことに素直に賛辞を申し上げたいです。

そして電子出版や音楽配信について。もうすでに流通の主流のひとつになっている、このことは事実として受け入れるべきだろうと思います。実際僕も利用しています。しかしながら実際に手にとることのできる「本」そのものは消えることはないでしょう。ステージで生で楽しむ「音楽」も消えることはないでしょう。例えばMP3をヘッドフォンで聴くことに嫌悪感を抱くのもとても重要ですが、レコードの素晴らしさやアンプ・スピーカーの楽しみ方、歌や演奏、生楽器の素晴らしさをきちんと次の世代に伝えていくことの方が重要です。もしもiPodでしか音楽を聞いたことがない人がまわりにいたらライブに誘ってみる。楽器をはじめてみたいと思ったらよく考えずにすぐにやってみる。音楽とは理屈ではなく「体験」なのです。

とりとめもなく長文になってしまいました。

いまは今後のiPadの展開を冷静に見つつも期待を寄せる複雑な心境ですが、なんだか後ろ向きなニュースが多い世の中、なんだか楽しそうなニュースじゃありませんか。
アップル製品に限らずこうした発明の数々を目の当たりに出来るこの時代を生きていることに喜びを感じています。

それでは、よい週末を。

畑中正人
http://www.hatanakamasato.net/