人と技の間に。

先日某スタジオにて某企業プロモーション映像のためのサラウンドミックスを行いました。遅ればせながらきちんとサラウンドミックスに携わったのはこれが初めてです。

この時代、コンポーザー(作曲家)もその多くがコンピュータでの制作を行っています。私も気がつけば音の完パケ(納品できる状態のサウンドファイル)までひとりで作業してしまうケースが大半になってしまいました。つまりは、作曲、実音での録音、録音後のミックスダウン(音の調整作業)、納品用のサウンドファイルの作成までひとりで行う、いわば「完パケ」君のひとりです。

そんな現状の中、今回のサラウンドミックスで改めて感じたのはエンジニアの方の「技」でした。

いつから何でもひとりでやる状況になってしまったのか?思い出してみても自分がこの世界で仕事をするようになった90年代半ばからすでにそれは始まっていたように思います。

もしも「時間」も「予算」も許されるのなら、どんな形態のプロジェクトであってもきちんとスタジオでエンジニアの方と一緒に最後の仕上げをしてみたい。気がつけば、近年は口癖のようにあちこちで言っています。

コンポーザーとエンジニアの境目がどんどんなくなっていく事は、技術的な進歩、制作時間とコストの状況等からして仕方のない事ではあります。しかしながらエンジニアの方々がもつ「耳」と「技」、そしてコンポーザーがつくるコンテンツとが交わったからこそ出来る作品もあるのです。

一方で建築に音をつけるときに重要なのはコンテンツを仕上げるだけではなく、音響面での技術的な考察とシステム設計がなければ成り立ちません。例えばヤマハの秦さんとお仕事をすると、完成の精度が何倍にも上がっていきます。私ひとりができる事など本当に限られているのです。

このご時世減っていくのは制作コストだけでなく、こうしたコミュニケーションそのものなのかもしれません。このまま確かな耳をもつ人の技が正しく継承されないままスタジオワークが減少していく事は、コンポーザーとエンジニアの境目がなくなっていく云々という以前に「人」と「技」そのものが分断されていく事に他ならないのです。それでも世間は全行程において合理化、効率化という流れの中を突き進んでいます。何とも複雑な気持ちですが、この現実を受け入れながらも打破していくしかないのだと思います。

畑中正人
http://www.hatanakamasato.net/