先日テレビで、遺伝子音楽のニュースを見た。文字通り解析した生物の遺伝子情報を、そのまま音楽にするという方法だ。だが、遺伝子情報を所謂西洋音階にあてはめている手法を見て、「またか」という思いが頭をよぎる。何でもかんでも西洋の音楽理論にあてはめて考えるのはいかがなものか。研究者たちは、この地球上にある音楽は全て西洋音楽理論で解析できるとでも本気で思っているのだろうか?結局こういった理論は、次々と添え木されて最終的にあらぬ方向へと発展していく。西洋音楽の音階の隙間にはまだまだたくさんの音程が存在している。例えばアフリカやアジアの音楽世界には、決して西洋の理屈では割り切ることができない独特の音楽文化が存在する。そういった音楽文化を、まるで植民地化するかのように征服してきた西洋音楽の犯した罪は大きい。今回の遺伝子音楽のような穴だらけの理論を耳にすると、本当に苛立ってしまう。確かに音楽に対する理論的・数学的な思考は必要であるし、かつてヤニス・クセナキスらが行った数学的思考から生まれた音楽が後の音楽の世界に大きな影響を与えたことも事実だ。だが、理論は音楽ではない。理論という泥沼にはまることが、音楽を悪い意味で危うくすることも知っておかなければならない。
畑中正人
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