音楽との出会い

作曲を仕事にするようになってもうすぐ10年。そもそも作曲を始めた真のきっかけは今となってはわからない。
本当にある日突然、作曲をしたくなった。としか説明できない。気付いた時には自分で勝手に音楽の勉強を始めていた。

子供のころから「ものを作る」事は好きだった。新し物好きで、歌う事が好きで、やたらと手先が器用な父親と文学と絵が好きな母親からの影響が大きい。音楽との最初の出会いは父親が作ったアコースティック・ギターで遊んだことだったし、こうやって文を書く事ももしかしたら母親の影響だったろうし、とにかく両親の存在なくしていまの自分はない。そしてもう一人、小学校の担任の先生との出会いも大きかった。とにかく私は何でもやらされた。勉強やスポーツはもちろんだけど、いきなり学芸会でリコーダーのソロをやらされたり、放送部員として当時まだ珍しかったビデオカメラでの撮影係になって撮影方法を仕込まれた。一時期は放送室でニュースらしき原稿を収録し、朝の教室で自分の顔と声が全教室に放送され、恥ずかしながら自分の立ち振る舞いの未熟さを学んだ。学芸会の音響効果や照明のオペレートやプランニングもやったし、そんなキャラでは全くないのに運動会の応援団長までやらされ、のけぞりながら大声を出す練習をさせられた。毎年のように新しい事に挑戦させてもらった。いま思えば不思議な話だ。でもそこで得た知識やスキルはいまでも役に立っている。おかげで滅多なことでは驚かないし、現場での判断も早い方だし、演奏などなんだかんだ本番に強い。

音楽に限った話でいちばん印象的だったのは、5年生の時クラスの生徒全員でやった合奏。あのアンサンブルの事はいまでも強烈な記憶として残っている。忘れもしない「マイアミ・ビーチルンバ」と「オリーブの首飾り」。当時の子供にしてはかなりの難曲。それもかなりマセたアレンジだった。当時私は演奏は得意だったけれど、譜面は一切読めなかったし絶対音感みたいもなかった。でもそんなことができなくても音楽は皆で楽しめるんだ、その事を教えてくれたのは他でもない担任の先生だった。
それでも作曲に目覚めるのはその後、中学2年生を過ぎたあたりだった。それも全く唐突に。特別な音楽の知識があるわけではなかったし、好んで聴いていたのも日本のポップスばかりだった。それでも、ある日突然譜面に向かい出した。単音しか出ない小さなオモチャ・キーボードを武器に変テコな音符を並べていたのが、いつしかバイトでシンセやリズムマシーンやミキサーを買い漁るようになっていた。そして高校生の頃には「作曲を仕事に」これしか考えていなかった。もちろん才能があるとも思っていなかったし、音楽で何か自己表現ができるとも思っていなかった。とにかく、一番むいているのはこれだろうと勝手に決めつけていただけだった。いま思えばこの大きな思い込みと勘違いが後の人生を決めたのは確かだ。いずれにしても自分の音楽の構造、音色感など諸々の要素の8割は生まれ故郷で形成された。
畑中正人
http://www.hatanakamasato.net/