作曲の仕事 1〜踊りとの仕事

僕にはミュージシャンの知り合いよりもそれ以外の(ダンサー、映像作家など)の人の方が多い。その&くらい、音楽家以外の人との仕事が多かったという事になる。今回はその中でもダンサー、振付家との仕事にスポットを当ててみようと思う。 僕が札幌でキャリアをスタートさせた時から、ほぼ毎年のようにダンス公演のための音楽を書いていた。日本には色々なタイプのダンサーがいる。僕はその中でもコンテンポラリー・ダンスと呼ばれる種類のダンサーとの関わりが圧倒的に多く、そのほとんどはかつてのマリア・テアトロ、コンカリーニョといった会場をホームとする人たちだった。そして作曲して音楽を提供するだけではなく、僕も一緒に舞台に上がって演奏した事もあった。札幌のそういうブレインは狭いので、気が付けば随分と多くのダンサーのために曲を書かせていただくようになっていた。しかしはじめからホイホイとダンスのための音楽が書けたわけではない。ダンサーのために曲を書く事は自分が想像していたよりもはるかに大変だった。しかもダンサーにとっても単にCDから音源を選ぶのではなく、一からどんな音楽が必要なのか考えなくてはいけない。両者にとって大変な手間だ。作曲をするにあたって苦労したのは、何を基準に音を思考すればよいのかだった。動きを見ても、簡単に音楽が浮かぶものではない。どんなテーマでその作品が公演されるのか、ダンサーはいまどんな事を感じて振付けをしているのか、そこに必要なのは一体どんな音楽なのか。たとえダンスと音楽が一緒になったとしても、単純に1+1=2になるとは限らない。その逆だってあり得る。音楽が先に出来上がっていてその上で振り付ける場合は別として、とにかく稽古場に振付けを見に行って「はい、わかりました」といって書けるものではない。それに話し合いをしていても、お互い擬音や形容詞的な表現をしていて、まともな日本語になっていない時すらある。僕はダンスの事はよくわからないけど、個人的な意見としてダンスだけを見たいのであれば音楽は必要ないと思っている。ダンサーの息づかい、動く時に聴こえる服の擦れる音や足音だけでも十分音楽的だ。だからはじめは色んな楽音やノイズ、音響を用いて作曲していたが、いつしかそれにも飽きてしまった。もっと音楽の存在が希薄になるような作品を作りたい、そう思うようになっていた。もしくはリズムがきちんと取れ理路整然とした音楽よりも即興的で無拍子的な作品といった具合に。 例えば平戸健司さんと仕事をした時には実際に彼が動く時に出る服のノイズや息の音をサンプリングし、それを加工して音楽にした事もあった。彼とは毎回違うやり方で作品を作らせてもらったが、その方法はとても効果的だった。そして、岩下徹さん、絵師の杉吉貢さんと「即興」という公演をさせていただいた時には、全てを即興で行うという面白さとその深さを改めて感じさせてもらったし、即興で踊る岩下さんの、その凄まじいエネルギーを間近で見る事が出来た事はとんでもない財産になった。 話は変わって、いま仕事をしているハンブルクバレエのイリ・ブベニチェクは、これまで仕事をしてきたダンサーの中でも一番の完璧主義者だ。話し合いをしていても明確なテーマ、構成があって自分でコンテを書いて持ってくる。音楽の時間も秒数まで全部決まっている。会話も擬音や抽象的な表現は一切ない。彼の頭には完全な完成図がある。音楽の良い悪いはハッキリ言う。だからかえって作曲の仕事はしやすい。でも何故ここまで完全なステージにこだわるか。勝手な推測だが、彼はコンテンポラリーの振付家であるが、そのバック・グラウンドはバレエだ。日々監督のジョン・ノイマイヤー氏のもとで厳しい舞台をこなし続けている。しかも、そのステージはハンブルクだけでなく、世界中で公演される。その中で主役として常に安定した完璧な踊りをしなくていけない。プロのダンサー、そして振付家としての責任、自覚、誇り、そういうものが彼の中に血として流れているとしか思えない。だからこそ、作曲した本人ですら彼の舞台を見て涙してしまう(変な奴だと思われても)。ここまでくると僕がここまでダラダラと盲目的に書いたダンス音楽論など吹き飛んでしまう程、踊りと音楽には何か凄い化学反応がある。一方で公演という目的以外でも音楽が使われる事もある。例えばネザーランド・ダンス・シアターのダンサー兼振付家のヴァスラフ・クネスは、彼が行っているワークショップで僕の音楽を使っているし、以前札幌で行われたローザンヌのバレエセミナーでは、振付家の島崎徹さんのワークショップのために直接その場で即興演奏させていただいた事もあった。とにかく言える事は、ダンサーや振付家との仕事で自己の音楽に対する態度がガラっと変わったという事。音楽で自分を主張しよう、などというくだらない考えはすっかり消え去ってしまった。そして、何よりダンスの公演はひとつの場所ではなく、いろんな土地で行われる。しかもその舞台は必ず会場に来ている人たちの目の前で行われる。その事を考えただけでも、一緒に仕事をする事の意味が見えてくるのではないだろうか。少なくとも僕にとっては一生をかけて探究したい仕事のひとつだ。
畑中正人
http://www.hatanakamasato.net/