今日は授業で60年代ロックを取り上げる。いまの18、9歳の子たちにとっては、ずいぶん大昔の話し。ビデオで見たのは、ザ・フーやドアーズ、ジョニ・ミッチェルも出演し、ジミヘンにとっては最後のステージになった「ワイト島・ロックフェスティバル」。当時の若者はジミヘンなんかを娯楽として聞いていたんだろうけど、いまの子たちにはちょっと骨太すぎたか、うわのそら。というか授業自体聞いてない。よくいまの子供は集中できないというけど、本当かもしれない。実際もって20分という短さ。45分授業なんてとんでもないという感じ。自分のやりかたにも問題あるかもしれないが、もう少し聞いてくれよという状態。しかも、あまり怒られ慣れていないだろうから、怒られても何のこっちゃという顔をする。だからここ数年授業で怒ったことは、ない。中学生でも高校生でもなく、専門学校生なんだから、基本的に大人として扱かっているが、実際はまだまだ子供。まぁ「聞かない子の方がかわいい」とは言うが教室に漂うのは「世の中に対する虚無感」というべきダラ〜っとした空気。「どうせ就職ないんでしょ?」とか「学校つまんないし」という感情がまる見え。美化するわけじゃないけど、自分が学生の時は興味の塊だったけどなー。だいたい音楽学校に来てるんだから、音楽に興味がないわけはないんだろうけど、「音楽」というのは「J-POP」のことだと思ってるんだろうか?「学習」というのは「テスト」のために丸暗記することだと思ってるんだろうか?
どちらにしろ、彼等だけのせいではない。いままで受けた教育環境もあるだろうし、とかくつまらない音楽を取り上げてしまう一部のメディアの影響かもしれない。だが、「ギターを弾けるようになる」ことと「ミュージシャンになる」こととは違う。自己表現するためには複眼的にものを見る精神が必要だし、それを音楽に繁栄させるセンスも技術も必要だ。これは誰かに教わるものではなく、自分自身で手に入れるものだ。もしその精神を持っている生徒が増えれば、教室の空気は一気に変わるし、そうさせる学校と講師の努力も必要になる。ところで、僕は自分のことを教育者だとは思っていない。だから生徒にも「先生」とは呼ばせていない。呼んでもらいたくない。「教える」という行為はほかならず、「教わる」ことだと僕は思う。生徒に向けて発言する言葉は、自分自身に向ける言葉でもある。とにかく彼等が自分自身で「何か」を得るまで、しつこく「触発」し続けるしかない。どのみちこれくらいしか、僕には出来ない。「プロのミュージシャン」なんてあってないような職業だ。そんな職業につくためには「自分」をしっかり持っていないと、すぐに落ちていく。その厳しさや楽しさは実際に体験した者にしかわからない。ジミヘンのように死と引き換えにその体験をした者だっている。もし生徒たちが「自分」を押し殺して学校へ来ているのなら、もっと解放へと向かわせる体制作りも必要になってくるだろう。とにかくそんなことを思い巡らせながら、授業終了後、仕事場へと戻った。
「教育」は本当に難しい。 というか自分は教育になんて携わってていいのか?

畑中正人
http://www.hatanakamasato.net/