先日ある友人から、「作曲に煮詰まっている」との相談の電話をもらった。その彼は僕よりもずっと若くて、僕よりもずっと有望だ。彼によると、煮詰まっている直接の原因はわからず、ただ「何かがおかしい」と感じているようだった。何かがおかしいのは、何かに気付きはじめる直前の状態であることに違いない。彼の話しを聞いているうちに、昔の自分を思い出してしまった。何をやっても納得がいかず、仕事すら手につかなかった96年。寝る間も惜しんで動き回った95年の活動がもたらしたものが消化不良となり、そのツケが翌年にまわったことで、身動きがとれなくなっていた。かつて音楽とは自分にとって、「自分自身」のための音楽だった。もしくは、現実逃避のための音楽だった。それが、仕事として音楽を作るようになって、音楽を通して「現実」を見なくてはいけなくなった。その環境変化は自分にとって厳しい変化だった。もはや自分だけのための作曲活動ではなくなったのだ。彼もいま似たような状況にいる。しかし、その解決方法は彼だけが見出せるもの。僕のものさしは通用しない。彼の内部から湧いてくるもの、彼の外部からやってくるもの、どこにヒントがあるかは彼自身のみが知っている。僕はただ一言、「作り続けること」と伝えた。電話のあと何とも言えない気持ちになったが、音楽は理論だけでも感覚だけでも作ることができない。その難しいバランスの中で揺れ動く気持ちは、経験しなければわからない世界だが、彼ならきっと乗り越えるだろう。改めて「音楽とは何か?」そう自分自身に問いかけた1日だった。
畑中正人
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