音のゼロ地点

音がゼロになる、というのは概念上。実際には本当の「無音」つまりは音がゼロになるという事はほとんど不可能に近い。
東京に住み始めた頃、なんて音のうるさいところだなんて思っていたが、ひと気のない山奥で眠っていても、全く音がないなんて事はなかった。
いつも音楽と向き合う上で重要視しているのは、音の気配だ。それは、楽器を弾く時だったり、録音の時だったり、ミックスダウンの時だったり、何気なくスピーカーで音を聴く時だったりする。
音で空間を上書きするよりは、他のものもレイヤーのように残した上で音に触れている感じ。「音に気がつく瞬間」を味わう方が、自分にとっては音楽的だ。
極端だけど、目の前にある鍵盤を押したはずなのに、50m先の奥の方で音が聞こえたりする ような感覚は、体と楽器を密着させて得るエモーションや歌のバイブレーションとは異質だ。どちらも必要だからこそ、無音という概念はつきまとう。
無音なんて音楽にならんよ、と思われるだろう。でも楽譜にも休符はある。休符が音符を生かしている。それだけでも、じゅうぶん音楽的だ。
畑中正人
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